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熊谷守一の家は付知の名家で、土地や山林をたくさん持っていた。 |
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守一が晩年をを過ごした千早町の家(※)は伝説的な存在である。約80坪ほどの敷地で、南側半分が庭になっており、草木がのび放題にのびた野生の王国これこそが守一の生き方を表していた。 守一はこの庭をよく歩き回った。庭の木陰で昼寝をしたり、日なたぼっこを楽しんだ。ただ自由に自分の時間を楽しむことだけを望んで生き、絵は観察という遊びの延長であった。名声やお金に対する欲はおろか、”すばらしい芸術を描こう”という気持ちもなかった。 守一は貧しさすらも受け入れた。闘う意志がないのだから、黙って受け入れるしかなかった。こうした受け身の生き方は、彼のものの考え方や見方と無関係ではないだろう。人生は望むものではなく、様々な因果の重なりで与えられるものと・・・そうした考えを絵に表すには長い時間が必要だった。守一がそれを達成できたのは、人生が終わりに近づいたころである。生きることと描くことが、そのときようやく重なりあったのだった。 ※千早町の家は、現在「熊谷守一美術館」となっています。 |
![]() 住所/〒508-0351 岐阜県中津川市付知町4956-52 ( アートピア付知交芸プラザ内) TEL/0573-82-4911 開館時間/9:30〜17:00 (入館16:30まで) 休館日:月曜日(祝日の場合翌日) |
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